2022年09月04日

よしださん

Miracle Kidzの吉田社長が、8月30日に亡くなりました。
本当に本当にお世話になった人で、憧れの人で、ライブにも何度も来てくださったり
この人のために頑張ろうと思えた人でした。

この方とのつながりを書くには、かなりたくさんのことを書かないといけないのですが
今自分はコロナ療養中で、時間があるので、書く事にしました。
長文になります。

よしださんは、ゲームのくにおくんシリーズの、ダウンタウン熱血シリーズを作った人です。
自分は子供のころから、くにおくんシリーズが好きな、いちファンでした。
そこからよしださんに声をかけていただき、ゲームの音楽を作らせていただくところまで繋がります。

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私のくにおくんとの出会いは、ファミコン時代に遡ります。
ファミコン発売当初は、自分はファミコンを持っていませんでした。結構親も厳しかったのです。
やっぱり買ってもらえなかった家もほかにもあったようで、
放課後、たまに男子が家にピンポーンとやってきて、「お前んち、ファミコンある?」と聞いてきました。(うちもないよ!)

しかし、自分は5歳下の弟がおり、たしか弟が小1の時に、弟が友達の家に遊びに(ファミコンしに)行ってばかりだからと、
ようやく買ってもらったファミコンが家にやってきます。
そういえばほかにも、あまり自分は漫画を買ってもらえなかったのですが、弟はジャンプを買うことを許されていて、
読み終わったジャンプを私も読ませてもらっていたのを思い出しました。
やっぱり2人目とか、男の子には、親というのは甘いものなのでしょうか。
ともかく、だから自分のファミコンや漫画の知識は、ちょこっと年下の男子のような感じや嗜好だったりしていました。

そんな弟と、いつかのお正月明けに、一緒に自転車でゲーム屋さんに行きました。
当時は新聞に挟まった広告の中に、ゲーム屋さんのチラシがよく入っていたんですよね。それを見て。
「あ、これ友達も持ってる」と言って弟が手に取ったのは、くにおくんシリーズの「ダウンタウン熱血物語」
なかばジャケ買いのようにして、そのピンクの箱のソフトを買って帰りました。
これが私のくにおくんとの出会いでした。
その後、弟たちのソフトの貸し借りなんかもあったりで、ほかのくにおくんシリーズも遊ぶようになりました。

くにおくんシリーズの中でも、かわいらしい頭身のシリーズが、かわいくてすごく好きでしたが、
まさにこれが、よしださんの作ったものになります。
その前の「熱血硬派くにおくん」は、もとはゲーセンのもっと頭身の高いツッパリの喧嘩ゲームで、そのままコンシューマー移植もされましたが
よしださんが、がらっと頭身を変えた、かわいいくにおくんを作ったのだそうです。
よしださんの話では、当時は社長にも、売れなかったらどうしてくれるんだ、なんて言われていたようですが、
結果、ものすごい売り上げを上げることになります。
この、かわいいくにおくんが好きなので、自分はツッパリが喧嘩するゲームが好きなわけではないんです。

くにおくんはそもそもの設定は不良ですが、正義の不良(?)で、いろんなスポーツをやったりします。
必殺シュートに当たったキャラが地球を何周も飛ばされるドッジボール、
木桶を投げたらかぶったまま走ってしまう時代劇、
喫茶店でパフェを頼めばグラスごと食べてしまう熱血物語、
はちゃめちゃなのにキャラクターはかわいくて、大好きなシリーズになりました。

しかもすごいのが、ドット絵で描かれたキャラクターたちは、よく見ると口より下はみんな一緒なのです。
学ランとかの色が違うくらい。目と髪型で、膨大なキャラたちが描き分けられています。
これもみんな、よしださんの作ったものです。

少し話が逸れますが、自分は、今では少しだけゲームの音楽も作らせてもらったりしていますが
当時弟が、友達連中と、たたみに寝っ転がりながらわいわいファミコンで遊んでいるのをよく見ていた折に
野球かゲームばっかりして音楽なんてまったく興味のなさそうな悪ガキたちが、
ゲームで流れている曲をデデデ唱(8bitなファミコンの曲を歌おうとすると、歌詞が自然とデデデになる)で口ずさみながら遊んでいるのがすごいことだなと思って
いつかゲームの音楽を作りたいな、と、当時から思っていました。
ゲームの音楽は特に、ドラクエの音楽が好きで、エレクトーンで弾きまくっていた小学生時代でしたが、
もちろん、くにおくんの曲も、たくさんカセットテープに録音したり、楽譜を書いたりしていました。



話を戻しまして。
このあたりは記憶の時系列がごちゃごちゃなのですが、
・くにおくんを作っているテクノスジャパンのテレホンサービスをよく聞いていた(当時はどのゲーム会社にもテレホンサービスがありました)
・ゲームを買うと中に同封されいてる感想のハガキを律儀に出していた
・コンビニで雑誌「ファミコン4コマ王国」の、くにおくん特集に出会った
このあたりのどれか、もしくは複合の理由で、テクノスジャパン主催の「テクノスジャパンファンクラブ」なるものが始まることを知り、
その、テクノスジャパンファンクラブの会員になります。

のちに、ファミコン4コマ王国はファミコン王国→ゲーム王国と名前を変えていくのですが
ファミコン王国時代に、「くにおくん!熱血勝負!」というくにおくんの漫画を連載した藤井昌浩先生の大ファンになり、
月2回ファンレターを送ったり(隔月の雑誌で打ち合わせも隔月のため、私のファンレターは4通同時に受け取っていたよう)
先生がよく行くファミレスを知ったら、そこでバイトまでして、ついには先生にお会いしてしまうほどの、
今の時代ならストーカーギリギリ(?)の推し活をしたりもしていました。
(藤井先生は数年前お亡くなりになっており、葬儀にも行きました)

同級生の女子たちの中では私は異色で、みんながスラムダンクなどに夢中な時に、
ひとりで、くにおくんくにおくんくにおくん言っていたのを記憶しています。


が…自分が高校を卒業したのとほぼ同時に、テクノスジャパンが倒産します。
テレホンサービスが終了し、ゲーム雑誌にも情報がなくなり…
1995年の話なので、今みたいに、検索すれば情報が出てくるわけではありません。あとあと、やはり倒産したのだとわかりました。
最後の頃は、もうゲームをちゃんと作れる人は残っていなかったと聞いておりますが
よしださんも、その頃にはもうとっくにテクノスジャパンにはいなかったそうです。
くにおくんは、高校生のキャラクターなので、自分と一緒に高校を卒業したのだ…と思うことにしましたが
なんとももやもやした気持ちが収まらず
ある時、くにおくんのファンサイトを作ることを思いつきます。

当時は、まだホームページやらインターネットの黎明期で、テレホーダイとか言ってた時代で、
gooとかインフォシークとか検索エンジンで「くにお」と検索しても
「お近くにお越しの方は…」という文章しかひっかからなかったりする世界線です。
Yahooに載せてもらうためには、自らのページを自己推薦する必要があったりもしました。
その時作ったくにおくんのファンページは「くにおMANIA」というサイトで、今でも残してありますが
大人の事情はなにも知らず、ただの純粋な好きという気持ちだけで作ったサイトです。
くにおくんファンやくにおくんを作っていた人が集まってくれば、くにおくんの情報がわかったり、いつかまたくにおくんに会えるかもしれないと思っていました。

その後、2~3年で、徐々に同じようなくにおくんのファンサイトも増えて行きました。
ウェブリングに登録してくれるサイトも一時は40サイトほどあったり、
掲示板でのくにおくんファン同士の交流も、とても活気にあふれ楽しい時期でした。



そんなある時、元テクノスジャパンの海老沼さん(ダブルドラゴンを主に作っていた人)が
私の くにおMANIAを見つけ、書き込みをしてくれました。
「こんなサイトがあるなんて驚いた。」「必ずや、みなさんを、元テクノスの人達に会わせます」
といった内容だったと記憶しています。

そして、海老沼さんのおかげで、元テクノスの人達に本当にお会いする日がやってきます。
海老沼さんとしても、特に私に合わせたかったのが、よしださんらしく、
お会いする前に、よしださんとは電話でたくさんお話もできたのですが
私が仕事の研修で大部屋にいる時だったのを覚えているので、2000年の3月くらいのことだったはずです。
もうめちゃくちゃ早口で、ひとつ紐を引っ張ったらその先のものが芋づる式にたくさんたくさん飛び出してきて、
はじめはメモを取って聞いていたら何ページにもなって、だんだんこっちがわけがわからなくなってきて、それでも全然話が終わらなくて
とにかく泉のようにアイディアが湧き出る、こんな人に会ったことないというくらい、わけもわからずものすごい人でした。
電話も、一度話し出すとすごく長くなってしまうのです。

確か、よしださんにリアルで初めてお会いできたのは、
元テクノスの人が何人か来るという飲み会に参加させていただいた時だったかと思います。
よしださん以外にも、この人はくにおくんに出てくる誰々のモデルだとか、この人は何を作った人だとか、
貴重な方々ともお会いして、緊張しまくりだった記憶です。

掲示板で有志を募り、くにおくんファン数人で集まり、うちでゲーム大会をしたこともあります。
よしださんもその会に来てくださり、みんなにくにおくんの貴重な話を話してくれました。
それまで常々、こんな貴重な話を自分一人で聞いているなんて勿体ないと思っていたので、
集まった何人かにもよしださんの話を聞いてもらえたことがすごく嬉しかったのを覚えています。
ファンからすると、本当に夢のような時間なのです。


その後も、くにおくんファンの何人かで集まる機会を何度か設けました。
いつかくにおくんを復活させたいという思いもあり、プログラムのできる人など定期的に人を集めていたと思います。
お花見をしよう!と企画した時には、やっと予定が合った頃にはもう桜は散っていて、
「葉っぱ見」として集まりました。
よしださんがつんつん、としてくれて、見ると、上を指差していて
「こうやって葉っぱに街灯の光があたると、花みたいに見えますね」
といってニコニコしていたのを思い出します。
葉っぱ見も、2、3年くらいやったような気がします。夜の市ヶ谷の公園で。

他にも、何の時だったか、新宿でふたりで始発を待って話していたこともあります。
その時もとにかく話が芋づる式です。お腹が痛い、眠い、と思いつつ、よしださんの話を聞いていました。
すらっとして格好良くて、長い髪をひとつに結わえ、雪駄ですごいスピードで歩き颯爽と「おつかれさまです!」と現れるよしださん。
とてもとても変わった人だけど、とにかく純粋にゲームづくりのことばかり考えていて、
憧れのクリエイターとしてすごく尊敬していました。
そして、自分みたいな者にも、常に丁寧語で話される人でした。



そして、数年経った頃、本格的によしださんが動き出します。
くにおくんを作ろうと、神田の魚民で何度もファンの有志で集まっては、何を作るとかいろいろ話しをして、
その度に、よしださんはみんなに一生懸命ご馳走をしてくれるのでした。
よしださんは、お肉を食べないので、いつも魚民です。
お肉は、昔は食べていたけど、本来の人間の持つ不思議な力が出るから、お肉を食べないのだと私は聞いていました。
よくナッツをモミモミして塩を落としながら食べていて、
「ナッツを食べると綺麗になりますよ、みんなが振り返るくらい」などと言って私にも勧めてくれました。

さあ、いよいよ、いろいろ整って、くにおくんがまた復活できるぞ!ということになった時、
くにおMANIAでお知らせしてください、とよしださんに言われて、書いてみたのですが、
インターネットの海で、エセ情報だとか、さんざん叩かれました。
(その後、実際にくにおくんのドッジボールをリリースするという記事が出て、誤解は解けました)
くにおMANIAは、今では到底考えられないへっぽこサイトですが、当時はほんのちょっぴり拡散力があったのです。
掲示板もたまに荒れることもありました。
なにしろテクノスジャパンの社長、瀧くにおさんが「俺が本物のくにおだ!」と書き込みをしにきてくれたこともあったのに
みんなに「偽物だ!」と叩かれて、しゅんとさせてしまった、なんてこともあったのです。
(これもよしださんから聞いた情報です。なんなら自分も偽物かもしれないと思っていました)


そして、よしださんがゲームリリースに先駆け株式会社Miracle Kidzを設立します。
Miracle Kidzでは、ゲーム作りをするのと、今までのくにおくんの資料を本などにして、即売会などで売り始めました。
コミケにも出ました。
その時新発売の本やCDがみんなブースに届き、それがものすごい量で、
暑くて暑くて、人もものすごくいっぱい来て、ほんとうに戦場みたいでした…。
あそこは企業じゃないのか、版権は大丈夫なのか…
叩いたり、いろいろ問題視する人もいました。
でもよしださんは、版権については瀧さんにOKをいただいているのだから問題ないと、自分なりにクリアにしたやり方でやっていました。

ごく最近は、イベントはゲームレジェンドにだけ毎回参加していました。
よしださんだけがサークルの入場チケットを持っているので、
手伝いで行っても、よしださんが来るまで本来は入れなかったりするのですが
「よしださんからチケットをもらってなくて…」と説明したら、
「よしださんですかぁ、なら仕方ないですね〜」とスタッフの方から許可をいただき、入れていただいたこともありました。
そんな風に、人間性に惹かれる味方もたくさんできる人でした。

ブース内でにこやかに立っているよしださんを何度も見たり、話した方もいると思います。
新作への意気込みや懐かしい話など、気さくにみんなに話していました。
自分も最近はすっかり、イベントの売り子くらいの仕事しかできていませんでしたが
在庫はうちに置いてあるものもあったし、せめてそれくらいはさせていただきたいと思っていました。
敵を作ることがあっても、
「私はよしださんのためにこれをやりたい、よしださんのために頑張ろう」
ただただ、そう思っていました。

「集い」として、ファンのみんなで集まる会も何度かやりました。
体育館に大人40人くらい集まって、リアルドッジボールをしたこともありました。
よしださんは、ファンとの交流も大事にする、とても気さくな人でした。
また、よしださんは、誕生日には必ず、仲間にお誕生日おめでとうラインをくれました。
誕生日にはすごく敏感で、くにおくんに出てくるキャラたちも、動物占いとかをしっかり調べて誕生日を決めているようでした。

ゲームは、ドッジボールを作りました。自分も音楽を担当しました。
はじめはPC版、その後Xbox版、Wiiウェア版と、ステージが増えると音楽も増やし、作っていました。
よしださんはもともと音楽をしていた人なので、音楽面でもよくアドバイスをいただきました。
ちょうどWiiのドッジボールの音楽を作っている時、2011年の震災が起きて
自分は恐怖のあまり、何日かは、何も作業ができなくなってしまったのですが
よしださんが「私たちの毎日は、何も変わっていないですよ」と冷静にアドバイスをくれて、
その後、頭になにも音楽が思い浮かばないところから、言葉通り七転八倒しながらも、
なんとか、なぞのぐんだんの曲や、神社ステージの曲などを書きました。
すごくいい感じになってきた、とよしださんが褒めてくれたのを覚えています。
それで、やっと調子も戻ってきて、全曲作り終えるに至りました。

音楽といえば、よしださんは自分のライブにも何度も足を運んでくれました。
1年に1回、ワンマンライブをしているのですが、とくにその時など大事なライブの時はよく応援に来てくれました。
自分が声がうまく出せなくて悩んでいる時は、ボイトレについてのアドバイスをもらったり
あの曲はこういうふうになるともっといい、など音楽面のアドバイスもたくさんもらいました。
なんなら、ジャズピアノのレッスンのやり方のアドバイスまでもらったこともあります。
最後には、コロナ前の2019年の自分のオーケストラ編成ののライブに遊びにきてくれました。



よしださんは最近も、いろいろと作っていて、今年の4月には私も作業のお手伝いをして、データのやり取りもしました。
その際、電話で話した時には、体の具合があまりよくなさそうでした。
腎臓も片方なかったりで(子供の頃からのようですが)、
「外へ出るには、体の水分をお風呂とかで出し切ってからでないと難しいから、いつもなかなか待ち合わせに時間通りに行けなかった」
ということも話していました。
確かに、よしださんはいつくるかな、そろそろくるかな…と、待っているシチュエーションが今までよくあったなと思います。
この時は忙しくて、そこまで真剣に話を聞けなかった気がして、すごく後悔しています。
もしかしたら、かなり体調が悪くて、暗に自分に何かあるかもと示唆していたのかもしれません。

ここ数年はよしださんは痛風にも悩まされていて、イベントに来た時に手の指がぱんぱんに腫れていて
「これでもだいぶよくなったのです」と言っていてびっくりしたこともあります。
手の痛風は足の何倍も痛いようで、普通なら耐えられないような痛みでも、どういうわけか我慢してしまっていたのではないかと思います。

もっと早く、病院に行ってくださいと言うべきだったのか、言ったら行ってくれたのか、わかりませんが
8月28日に、ご兄弟の方に、体調が深刻であることを連絡し、救急搬送され、
はじめはまだ意識もあったけれど、容体が悪化し、管にたくさん繋がれて話せなくなり、
そのまま8月30日に亡くなったそうです。
こちら、ご兄弟の方と連絡を取ってわかりました。
死因は細かく聞いていませんが、心臓がよくなかったそうです。
コロナ禍でなければ、みんなで参列できる葬儀もあったかもしれません。とても残念です。


長く長く、書きましたが、とにかく、自分がくにおくんにここまで関わって来られたのは、よしださんのおかげなのです。
本当に、人生を変えてくれた人です。
こんなにたくさんの人たちと知り合えたこと、たくさん勉強をさせていただけたことも、すべてはよしださんのおかげで、
思い起こせば、笑顔のよしださんばかり浮かんできて、とても悲しいです。
まだまだたくさん物を作りたかっただろうし、この先への構想もたくさんあったし、
途中まで作って立ち消えになったものも、たくさんあったはずです。
あくまで、Miracle Kidzは社長よしださん一人ものので、私も社員ではありません。
お世話になってきたよしだキッズ達で、できる範囲ではありますが、
いつかそれらを形にできないか、これから話し合いたいと思っています。

私はものづくりという点では音楽しか作れませんが、
集いの企画の経験もあるので、もうすこしコロナが落ち着いたら、いつか必ず、よしださんの会を開きたいという野望があります。
あれだけ、みんなでわいわいするのが好きな人だから、それを望んでいるはずと思います。
せめてそうして、未来のことを考えていないと、よしださんがいないという事実に押しつぶされそうでダメなのもあります。

よしださん。最近は痛かったり、つらかったりしたでしょうから、少しはゆっくり休んで…
と言っても、きっとあなたはあちらに行っても、まだまだゲームを作り続けたいのだと思います。
これからは、思いっきり、大好きなゲームを作ってください。
私もいつかあちらに行った時、遊ぶのを楽しみにしています。
そして私は、いつかよしださんもびっくりするような、いい音楽を作り出せるよう、こっちでもっともっと頑張ります。
本当にありがとうございました。
posted by furani at 21:32| 日記

2021年04月26日

Digital Performer INTEGRA-7のパッチリスト

Digital Performer(ver10.13)上で
Rolandの音源 INTEGRA-7のパッチリストを表示したい。
(Mac OS 10.13.6)

Digital Performer上で、INTEGRAのパッチを選べなくて
midnamをいじればいいとわかってはいたんだけど、前も一度挫折していて、
しかたないから毎回音色の番号だけ控えて、手動で選んでいた。
スクリーンショット 2021-04-26 17.55.47.png
表示されないよ〜


今回やっとパッチを表示、選択できたので備忘録。
(できない子のメモですみません…)


1)midnamなどのファルを入手

本来はここに
https://digicake.com/の右下に小さく
midnamへのリンクがある。
いろんなシンセや音源のパッチリストが集まっている。
スクリーンショット 2021-04-26 17.49.45.png
この右下にめっちゃちっちゃくmidnamがある。
この中にあるシンセ、音源であれば、ここからパッチリストをダウンロードしてくるべし。

でもどうやら、リンクが機能していないらしい?ので
ここで見つけたzipファイルをダウンロード。

中身はこんな感じ
Rolandというフォルダに色々入ってる。
スクリーンショット 2021-04-26 17.39.29.png

2)ファイルをライブラリの中へ

HD直下の
/Library/Audio/MIDI Devices/MOTU/Roland/
を開く。
(Optionを押しながらじゃなくても普通に開ける方のライブラリだよ)

この中に、
先ほどのRolandフォルダの中身を
フォルダもファイルもまるごとコピー
(不足があると表示されなそう)

上記のforumによるとdp10では、roland.middevファイルも
一緒にコピーする必要があるらしい。
どの階層にすればいいのかわからなかったけど、そのままで大丈夫だった


3)Audio MIDI設定

INTEGRA-7が表示されるようになっているので
接続先にINTEGRA-7を選ぶ
(General MIDIチェックははずす)
ご丁寧にアイコンまで用意されてました。素敵
スクリーンショット 2021-04-26 17.33.50.png


4)DPの再起動

できた!
スクリーンショット 2021-04-26 17.58.10.png
にしても恐ろしいパッチの数だ。


お疲れ様でした。
posted by furani at 18:05| 日記

2021年04月10日

人生初救急車

S__7757826.jpg
あまりの肩こりに、20分だけ…と もみほぐし店に行ったのですが
施術中に貧血になり、人生初救急車を経験しました。

貧血で意識飛ぶのはたぶん5回目。電車でお腹痛かった時とか。
もみほぐし中は初。(ちょっと痛すぎたみたい)
もみほぐしやマッサージで血がめぐりすぎて貧血って、たまにあるのです。
血流が急激によくなりすぎて、血圧が下がるせい。

だから一時的なもので、休んだら全然大丈夫そうと思ってたんだけど、
もみほぐし店の方がご丁寧に救急隊の方を呼んでくださってしまい
救急隊の人にも、歩いて帰れますと言ったんだけど
「どうしても帰るというなら、しかたないですけど…」と言う感じだったし
何度か意識消失してたみたいだし、やっぱりちゃんと診てもらうべきだとのことで、
それなら、と救急車に乗せていただくことに。

意識ばっちりでストレッチャーで運ばれ、大変恥ずかしかったです。
(しかたないので手で顔を隠してましたw)

救急隊の人に、救急車はお金がかかりますかと聞くほどに元気。
救急車での会話にしてはのんきに聞こえるけど、由々しき問題なのだ。
「かかりませんよ」とのこと。ほっ…
「でも病院で診察するお金はかかります」ですよね…。

場所が近かったのもあり、乳がん治療に通っている病院に搬送。
そして、昨年まで抗がん剤は救急外来でやってもらってたので
ストレッチャーで到着した救急外来の看護師さんがもちろん顔見知り。
「あら〜お久しぶり〜」と…。
ホントすみません。
もっと必要な方もいるし医療も逼迫しているのに
こんなことで来てホントすみません…。

結局血圧測って問診しただけで4000円ちょっとかかりました。
「大丈夫そうですね、ハイ」で終わり。ちゃんと診てくれてない笑
でもついこないだCTだのなんだのやったばかりですもんね。
もみほぐしより高くつきました…。


もちろん、もうなんともありません。
もみほぐし店の人にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。(悲)

あと、短い時間でお願いしたので、椅子タイプの施術を受けてたんだけど、
私のようなタイプは、必ずベッドで受けるべきだなと反省しました。
みなさまもどうぞお気をつけください。
posted by furani at 23:59| 日記

2021年04月08日

Webフライヤーのデザイン

すっごいどうでもいい話なんですが
PhotoshopとIllustratorを買ってから9年がたちました。
クリエイティブクラウドで、毎月お布施する形にこれから移行すると聞いた2012年に
慌てて、まだ現行だったCS6を買ったのでした。

Photoshopの使用用途は、今は、送られてきた譜面が薄かった時なんかに、
補正に使うのが一番多かったり…
でも、フライヤーとかも相変わらず頑張って作ってます。

徹ちゃんとやっている2台鍵盤企画
「酒とピアノと徹とフラニ」のWebフライヤーが
毎回、とっても渋くできあがっているので、まとめてみました笑

1杯目
1.jpg

2杯目
2.jpg

3杯目
3.jpg

4杯目
4.jpg
ここまでは同じ絵を使ってました。

ここから絵が変わります。
5杯目
5.jpg

6杯目
6.jpg

7杯目
7.jpg
クリスマスっぽく。

8杯目
8.jpg
桜の時期なので。渋くなりました。

9杯目
20210605-1.jpg
ビールを際立たせてみました。
posted by furani at 23:14| 日記

2021年04月06日

メールフォーム復活しました

最近レンタルサーバーを移転した(安いプランにした)のですが、
なんとか無事できためでたしめでたしと思っていたら
メールフォームのCGIファイルのパーミッションを変更し忘れていました。
1〜2週間メールフォームから連絡できなかったかと思われます。
すみませんでした>
posted by furani at 13:41| 日記

2021年03月27日

レンタルサーバーのサーバー移管をしました

さくらのレンタルサーバーを利用しているのですが、
容量がいつも99%くらい余っていたもので、安いプランに切り替えました。

なので、3/25(木)の夕方から夜にかけて、切り替えしておりまして
3〜4時間ほどメール不着、ホームページも見られない時間が発生してしまいました。
現在は正常かと思いますので、もしメールが帰ってきてしまった、などの方は
再度送信していただければ幸いです。
いちお、自分の別アドレス間との送受信や、迷惑メールの受信はできております…。
迷惑メールまじなんとか撲滅できないもんですかね。

furani.jpっていうのは、それも年間使用料を払っている独自ドメインなんですが
15年前くらい前なら、わかりやすいドメインってすごく大事だったけど
だいたい検索して探すし、URLを打ち込むってこともなかなかないだろうし
いつか断捨離したい…と思い始めてますが
URLやメアドの変更はちょっと連絡関係がめんどくさいので悩みどころです。
posted by furani at 00:52| 日記

2021年01月16日

ブログ移行中

さくらのレンタルサーバーとブログを使っているんだけど
レンタルサーバーを安いプランにするという
重い腰をえいやっとあげました。

しかし
さくらのレンタルサーバは、プランごとに収容サーバが異なるため、プラン変更には現在対応できておりません。
別のプランを新規にお申込みいただき、データ等を移行していただく必要がございます。


とのことなので、別プランを新規に申し込んだんだけど、

と、なんと、
「さくらのブログ」は、2021年3月3日以降に新規利用の受付を停止いたします。
と、ひっそりと表示されている!
新サーバーでブログをやろうと思っても、2021年3月3日以降は新規に作れなくなることが判明。


なので、さくらのブログ(旧サーバー)から、さくらのブログ(新サーバー)に記事をお引越ししようとしたんだけど
なんと
さくらのブログ右矢印1︎さくらのブログでは
画像がお引越しできない!!!!
こういうところがだめなんだよ…
それにもう新規受付終了ってことは、これから改善されることもきっとない。

でも、他のブログを一度仲介すれば、
画像をエクスポート→インポートできるかもしれない。

ちょっとがんばってみよう、というのが沼の1歩でした。

スクリーンショット 2021-01-16 22.10.29.png

これ、オフィシャルのサイトですよ。
CURURUもはてなダイアリーも、もうないからね…。

<画像インポートについて>
画像インポートに対応しているブログサービスは、「Blogger」「ココログ」「FC2 BLOG」「goo ブログ」「はてなブログ」「はてなダイアリー」「JUGEM」「livedoor Blog」「忍者ブログ」「WordPress」「ヤプログ!」です。
今後、対応サービスは増える予定です。


これも、ヤプログとかもうないからね!!!
対応サービス増える予定絶対ないっしょ!!!!!!怒

ココログもFC2ブログも試してみたんだけど、画像が移行できなかったりうまくいきませんでした。
つぎにlivedoor blogを仲介して、ちょっとだけうまくいったのでその経緯を。


▼まずは、新しいプランで、さくらのブログを作成

古いさくらのブログからエクスポ−ト
・さくらのブログの設定/エクスポートで、ファイルをエクスポート。
 MT方式(Movable Type)ファイルらしい。拡張子は「.log」
・文字コードはデフォルトっぽかったのでUTF-8に設定。
・全範囲をエクスポートしようとしたら長すぎますっていってできなかったので、期間を半分ずつにわけた。
スクリーンショット 2021-01-16 17.32.06.png

▼つぎにlivedoor blogにインポート
・livedoorアカウントを新規作成
・livedoorブログを作成
・ブログの設定/ブログの引越(インポート)
・さっきエクスポートした .logファイルを2つインポート。
 少し待つ。無事画像を含めてインポートできていた。

めんどくさくなってしばらく画像はない。

▼そしてlivedoor blogからエクスポート
・バックアップ/エクスポート
エクスポートする期間など設定をして、「ブログのデータを書き出す」
※改行を
タグに変換は、なしに設定
「ダウンロード」ボタンでダウンロード→.txtファイルを落とせた

▼さらに、新しいさくらのブログにインポート
・さくらのブログ 設定/インポート
・画像インポート元サービスをlivedoor blogに
・インポート元のブログURLを記入
・ログファイルはさっきのtxtファイル
・文字コードは自動判定にした
・basenameは取り込まず

無事取り込めたのだけど、
なんだか、2つにわけて最初にエクスポートした記事のうち
古い方の記事が、ダブってしまった。
同じ記事がふたつ連続する状態。なんでじゃ〜
livedoor blogの時点ではダブってなかったんですけど。

しかたないので、手動で200記事ほど削除する。。
スクリーンショット 2021-01-16 18.03.40.png
一括編集でゴー。
この作業に一番手間がかかってしまった。

そして、インポート済みの新しいさくらのブログの
インポートした画像のURLをみてみたら、
livedoor blogから読み込んでいることがわかる。
そうか、画像がぜんぶさくらのブログにうつってくるわけじゃないのね…。

スクリーンショット 2021-01-16 22.43.21.png
ここで、画像インポート元サービスを選ぶんだけど
これってURLを、そのサービスに書き換えてくれるってだけですよね。
画像のファイルそのものをインポートしてるわけじゃなさそう。

じゃあ、livedoor blogのほうも残しておかないと、
画像が見られなくなってしまうってことなので
livedoor blogのほうの記事を、すべて下書きにして、なんとかした。
(それでも、画像は非公開にならなかった。)


ここまでがんばって気づいた、
もういっそ、livedoor blogにうつってしまえばよかったのでは…????
画像のインポートさえできてくれる、
一番なくならなそうなブログサービスはなんだろう?!

知らなかったんだけど、livedoorってLINEに吸収合併されていたんだね。
それなら、日本最大のブログサービスが、
いきなりなくなるということは無いのでは…
と、思ったので
livedoorブログへの移行の方法でも、考えてみます…泣
posted by furani at 18:11| 日記

今頃新年のご挨拶?

もう1月も半分以上すぎてました。

昨年をふりかえると
2020年は
1月 乳がんまんがをがんばって描いてた
2月 まだまだ世の中は普通だった
3月 階段から落ちた
4月、5月 全部ライブがなくなり、ツイキャスでエレクトーンを弾き始める
6月 最後のハーセプチン。ピアノレッスンを始める
7月 演歌のお仕事に関わらせていただくようになる
8月 巻き爪治療をはじめる
9月 ライブいっぱいした
10月 ワンマンの準備とか制作とかばたばた
11月 ワンマンライブ 憧れのJZ Bratで
12月 謎の忙しさ。ヘルペスになったり

こんな年だったのかなぁと思いました。
でもなんか、コロナのせいで、2020年がまるごと無くなってしまったような気持ちです。
とくに春はなかったなぁ。

乳がんの治療のほうは、抗がん剤も終わり、あとは10年間ホルモン剤「タモキシフェン」を飲み続けるのみです。
半年に一回、精密検査があります。
心配しすぎず、でも長生きできるようにがんばりたいと思います。
再建手術も視野に入れて動きたいです。

2021年の目標は、いっぱいあるけど
(もう24分の1は終わってしまっているけど)
今までやってこなかったことにも挑戦したいです。
生徒さんがボカロやりたいんだって。私も勉強しなきゃ〜。。
わりとボカロは自分が歌うこともあって毛嫌いしてきたんですが、もうそんなこと言ってられません。
柔軟なアタマでいられるように、がんばります。
posted by furani at 00:00| 日記

2020年05月19日

「ひかり」収録曲の歌詞と、関わった人たち

Vocal Piano Melodione Ukulele furani

Bass 宍倉充
Drums 齊藤JYN
Violin emyu:
Violin 丸山明子
Viola 恵藤あゆ
Cello くろうさ

Recorded by furani
Strings Arrange furani
Mixed by 根岸和寿
Mixed at ネギ音楽室






▼鳥かごと教室
作詞作曲 furani


校舎の3階のはずれの 小さな教室
その片隅のどこにさえも 居場所はなかった
クスクス笑う陰口から 逃げ出したいから
休み時間のたびトイレで 息をひそめてる

ぼんやり窓際の席から みあげる空は
惨めで卑屈な自分には 少し青すぎて
みんなと少し違うことは そんなにダメかな
小さな叫びをかき消して 風が笑った

わかってほしくて 気づいて欲しくて

もしも背中に 翼があるなら
今すぐにここから 飛び立つだろうか
苦しみの向こうに 何があるのだろう
だけど希望だけは 失わないように 絶対負けない

人の態度や表情には 敏感だけれど
傷ついてないふりをしては ヘラヘラ笑う
ひびが入ったガラスのよに 壊れてゆく心
でもなによりも嫌いなのは 自分自身

消えたいなって 思っていたけど

傷ついた翼 抱えたままで
いつの日か私を 愛せるだろうか
自分で閉ざした 自分の心
取り戻せるように 認められるように 強くなりたい

鳥かごの鍵は 壊してしまおう
今すぐにここから 飛び立つために
自分を犠牲に しなくていい
わたしの価値はもう 私が決める
もしも背中に 翼がなくても
いつの日か私を 愛せるだろうか
どんなにひどく 傷ついたときも
けして希望だけは 失わないように 絶対負けない





▼ひかり
作詞作曲 furani


あなたの空が そのひかりが 今日も私を 照らしている
太陽のように 月のように あなたとともに 生きていたい

今夜は月が 綺麗だよと どうしても あなたに伝えたくて
なにもいらない ただ隣で いつまでも 笑っていたかったんだ
はじめて知った 命かけて 守ってゆきたい ものがあること
自分じゃなくて 誰かのため 生きれたら 幸せと感じたんだ

大丈夫だよ 大丈夫だよ
ひとりじゃないって 気づいたから

ひかりとなって 風になって あなたのことを 信じている
たとえ全てを 失っても それが私の 生きた証

大人になれば 色んなこと できるようになると そう思ってた
だけど何度も 傷だらけで 夢を描いては 消してきたんだ
人を信じて 裏切られて それでも自分は 自分でしかない
走り疲れて もういやだと 涙した夜も たくさんあったね

でもいいんだよ もういいんだよ
あなたはそのままで いていいんだよ

あなたの声が その姿が いつか誰かの ひかりになる
あなたがそこで 笑うことが やっと見つけた 私の夢

あなたの空が そのひかりが 今日も私の 背中を押す
太陽のように 月のように あなたのことを 愛している

ラララ…

あなたとともに 生きていたい






▼がんばらないうた

作詞作曲 furani
理不尽な仕事任されて 内心イライラしてるのかい?
嫌われないようにふるまって 心も体もこっている
優しすぎるあなた

無理をするなって言われても 無理をしなくちゃ 終わりがない
やめたくなったりへこんだり でも働かなきゃ生きてけない
マジメすぎるあなた

仕方ないんだ 日本人は そもそも真面目すぎると言われてる
たまにはいいんじゃない 肩の力をぬいて
このさい頭のネジも ちょっと緩めていいよ

がんばらない がんばらない がんばらないですごそう
がんばらない がんばらない がんばらないよにがんばろう

どーでもいいこと いやなこと 考えてばかり そんな夜
眠ろうとすれば するほどに ますますアタマが さえてくる
マジメすぎるあなた

仕方ないんだ 大人ってやつは いろいろ我慢するのも必要さ
たまにはいいんじゃない めんどくさいことは
今日くらい何もしらないフリしましょう

がんばらない がんばらない がんばらないですごそう
がんばらない がんばらない がんばらないですごそう
がんばらない がんばらない がんばらないですごそう
がんばらない がんばらない がんばらないよにがんばろう



posted by furani at 17:04| 日記

2020年01月07日

2020年初ブログ

2020年、あけましておめでとうございます。

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年越しは、富士そばのカップ麺な2019年の締めくくりでした。
なかなかの富士そば再現度でした。


最近は、全然ブログを更新していないんですが
ツイッターで、がんばってなるべく毎日、闘病マンガをアップしています。

https://twitter.com/furanizm/status/1207085624529833984?s=20

鉛筆で下書きして、ペン入れして、スキャンして、
フォトショで色つけてます。
昨年液タブ買ったのにあきらめてしまった。。。

なんなら100話くらい行ってしまいそうなペースで描いてますが
私が見て参考になった闘病ブログや漫画は、
やはり感情の機微がとても丁寧に書かれていて、そこがすごく参考になったので
もう少し、こんなペースで描き進めようと思っています。

しかし、最終的にどこにまとめるのがいいか、悩んでおります。
インスタだと、サイズが違うし(サイドに余白つければいけるけど)
pixivとか、絵師さんにまじってアップするのは恐れ多いし。。
ツイッターのまとめがいいのかなあ。


そんなわけで、今はハーセプチンとノルバテックスで治療が続いていますが、
特に大きな副作用もなく、元気にやっています。
まずはこの冬、インフルエンザなどに罹患せず健康で過ごしたいところです。

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母の作ったお雑煮をいただいて、今年もがんばります。


新年から、髪を切りにいったのですが
実に昨年4月以来のヘアサロンで
髪がのびて、髪を切れることの幸せを噛み締めておりました。
今後も伸ばすためにサイドと襟足を中心にすっきりさせました。
そして今は、なぜかこんなファンキーな髪色になってます。
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(暇な治療中に撮ってるからか目つきの悪さ。。)


こんなに元気になったので、今年は色々、新しい動きもして行こうと思っています。
2020年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
posted by furani at 12:30| 日記